空から、です。
ユカタン半島にある「チクシュルーブ・クレーター」
を作った隕石かな?
こんな風に恐竜たちが騒いだかどうかはわかりませんが・・
お仕事で最近利用しているCanva、有料画像を使えるようになったので、有料版の絵に台詞を付けてみました(;・∀・)えへへ
約6,550万年前にメキシコのユカタン半島に隕石が落ちたといいます。
隕石があと30秒早く落ちていたら・・いや30秒遅く落ちていたら・・大西洋か太平洋に落ちて、恐竜絶滅はなかったかも?
30秒の差が恐竜の絶滅を決めた!【小惑星地球激突死因ランキング】 - 草の実堂
その上、隕石が落ちた角度は60度だったとも言われていて・・
激しい衝撃で地球全体の表面が液状化してしまって、地殻が高く舞い上がったとも言われているようです。
もし角度が30度だったら、そんな風にはならなかったそう・・
恐竜を絶滅させた「隕石」は「凶悪な角度」で地球に突入した(石田雅彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
その後の寒冷化に関しては、最近になってそう長い期間ではなかったようだ、という研究発表もありました。
恐竜を絶滅させた巨大いん石は「核の冬」を起こさなかったことが判明 - GIGAZINE
でも恐竜は絶滅しました。
それから長い長い年月が過ぎて・・・
「マヤ文明(マヤぶんめい)は、メキシコの南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明」
「高度に発達したマヤ文字をもつ文明でもあった」
それと天文学と暦の発達もですよー!
wikiによると紀元前2000年くらいから、マヤ文明は始まっていて、紀元前400年くらいからメキメキと発達していったようです。
西暦8世紀辺りが絶頂期だったそう・・
マヤ文明の人口は最大10,000,000人の住民と推定されている
1000万人ですかΣ(゜ロ゜;)
ちなみに日本は?(wiki「近代以前の日本の人口統計」より)
日本の人口は8世紀には450~650万人。 1000万人を越えたのは中世後期、早くとも15世紀以降と考えられている。 江戸時代前半の17世紀に急増し、18世紀から19世紀は3000万人前後で安定化した。
だそうで、1000万人超えたのは15世紀以降だそうです。
そして、マヤ文明は16世紀頃にスペインによる植民地化が進んでしまいました_| ̄|○
お伝えしたかったのはこちらの記事の内容についてだったのですが、毎度前置きが超長くなってしまいました(^^;)
もう~恐竜と隕石を追いかけてしまって、本題に入れないです@@;
てか、1000字になったし、簡単にご報告します。
マヤ文明の暦はいろんな種類のものがあるそうで、一般的なものは
・260日周期のもの
・350日+5日のもの
となっているようです。
今回は古代の暦、819日周期というもので・・
これは前から「地球から見たある惑星が空の同じ場所に来る周期」=「会合周期(かいごうしゅうき)」
ではないか?と言われていて、
でもちょっと違う・・あ、いや、でも何倍にしたり、あーしてこーして・・
よし!やっぱりこれで合ってる!となったんだそうです。
これで通じますか(;・∀・)?なんつー説明・・
wiki「公転周期」にこんな表があって・・
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ふーん、火星が一番同じ位置に来るのに時間がかかるんですね?まあ、地球も移動してるし回っているからだと思います。
研究では、水星~土星の周期について調べたようですが、上の表と、記事の中の数字が微妙に違うんですよね~(-_-;)
なので、詳しい掛け算は書きませんね!
研究者のみなさんは論文に、
「819日という暦を作ったマヤ文明の天文学者は、1つの惑星を見るのではなく、目に見えるすべての惑星の会合周期の予測に使えるよう、より大きなカレンダーシステムとしてこれを構想したのです」
と書いていたとのことでした。
古代マヤ文明では惑星の動きをしっかり把握していた!
と、私も思いたいです(^^)v
最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
/リオ